死者の記憶を探して
食の集まる場の活気
温和な国民性"ラオス"初上陸
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※前回の続き
頭蓋骨とカラフルブッダの"ワット・トメイ寺院"
前回、ポル=ポト政権の虐殺について書いたが、実際の現場「キリング・フィールド」にも訪れることにした。The Killing Fields、直訳すれば「殺しを行う場所」。カンボジアでもっとも多くの人が虐殺されたのは首都プノンペンだが、ここシェムリアップにもキリング・フィールドがある。それが「Wat Thmei ワット・トメイ寺院」だ。
ワット・トメイ寺院 map: Google マップ
入り口を抜けると、幾つかの小屋のような物が並んでいる。
一番手前の小屋にはブッダとナーガ像が静かに座っていた。
真ん中の赤く立派な小屋にはガラス越しに頭蓋骨が重ねられている。
この頭蓋骨は虐殺された方々の物。数十年前にこの地で多くの命が奪われたことを忘れないでいたい。
一番奥には、白いブッダがいた。透き通る目が忘れられない。
また、敷地内には格式高い建物がある。おそらくこれが境内。中に入ってみよう。
靴を脱ぎ中に入ると、中央にブッダが腰をすえ、壁と天井にはブッダに関する様々な絵が描かれていた。
絵に圧倒されつつもまずはご挨拶。膝をつき、手を合わせ、目を瞑る。「失礼いたします」と。
圧巻の絵たち。横壁には幸せを語るような情景がある。
ブッダと共に記念撮影をした。天国とはこういう場所なのかもしれない。けれど、不安のない中に不安を感じる表情が描かれる空間だと感じてもいた。神や仏を讃え、拝み、祈る。きっとその裏には、人の弱さがあるのだろう。
改めて中央のブッダに挨拶をして僕は境内を出た。すると、僕の靴を置いていた所に二人の男の子が座っていた。二人は僕に何かを恵んでほしいという表情と言葉を発した。内心、「靴が盗まれなくてよかった」と安堵しつつ、絵の中の祈る人々とこの子達を重ね合わせていた。この子達にとって、僕は一瞬でも仏のような存在に見えたのだろうか。祈られても、せがまれても、僕は彼らの期待する幸せを与えることはできないと、Noという表情をして、靴をはき、境内を後にした。
せっかくなのでワット・トメイ寺院の敷地内を探索してみよう。入り口周辺は立派だったが、裏側は質素な生活の場が広がっていた。おばあちゃんは洗濯中かな?
共同生活。家族もご近所さんも合わせて洗濯、合わせて外干し。洗濯物がよく乾きそうな太陽の日差しが差し込む。
おそらく修行中の坊主の青年がこちらを見ていた。
坊主達は複数人で1つの小屋が与えられているようだった。
食べ物が集まる場には"気"が流れる
寺院を後にした僕は、シェムリアップの雑貨屋が集まる場を訪れた。道路沿いにお店が連なり、中にもお店が集まっている。
ほしいものとか、必要なものってたくさんあるはずなのに、たくさん置かれると急に何がほしかったのかわからなくなることが多い。
中も様々なお店が並んでいた。色々見て回った結果、ド定番のアンコールワットTシャツ(寝巻き用)と友人へのプレゼント(小物入れ)を購入した。両親が大阪人の影響もあり、値切れるところは必ず値切るようにしている。価格を安くしてほしいというより、値切る際の交渉が楽しかったりするからだ。今回、Tシャツを買ったお店の店員はカンボジア女性だったのだけれど、600円のTシャツで、まずは相手はどこまでいけるのかを調べるために、「半額」と伝えて「No」と言われた。「じゃあいくらまで安くできるの?」と伝えて、「100円」値引きするぐらいだった。結局、交渉を重ねて、半額で購入した。ありがとう。
雑貨屋さんの少し奥に進むと地元の市場が現れた。
狭い通路を人が行き交い、店員は食材をさばき、お客は値段交渉をしたりしている。3代欲求の一つ、食欲。人の欲望が集まる場所には自然と"気"のようなエネルギーが流れ、活気が溢れるなといつも感じる。
野菜も果物も、
一個一個が"我こそは"と主張するようにこちらを見ている。色合いが本当に鮮やか。
魚の切り身は、魚の身からできていて、
鶏肉は、鶏の肉からできていて、
豚肉は、豚の肉からできている。
そんな当たり前を日本にいると忘れそうになる。
お母さんが肉をさばく姿を見ながら、僕らが口にする一切れ一切れの食材は、一つの命だったということをちゃんと心に留めておきたい。
お腹が空いたので、食事にすることにした。美味でした。
謎の猿のマスコット。面白いほど恐怖でしかない。
さらばカンボジア
長い長いカンボジアでの冒険もここで終わり。
次は、未開の国"ラオス"のルアンパバーンという街へ向かおう。
アンコールの遺跡群を巡ったり、トゥクトゥクドライバーと飲み会をしたりと、本当に濃密な日々を過ごすことができたと思う。次はいつ来ることができるだろう。発展し続けるカンボジアという国にきっとまた呼ばれることを願いながら、僕は次の国に向かうことにする。
ありがとうカンボジア。また会う日まで。
ラオス人民民主共和国とは
photo: ラオス - Wikipedia
2国目、2つ目の遺跡、ラオス・ジャール平原。その遺跡を訪れるために僕はこの旅に来た。
まずは、ラオスを少しご説明。
ラオスは、正式名称を"ラオス人民民主共和国"という。位置は、東南アジアのインドシナ半島にあり、中国/ベトナム/カンボジア/タイ/ミャンマーと多くの国と隣接する国だ。日本の本州とほぼ同じ面積だと言われ、その中に700万人ほどの人々が暮らしている。首都はビエンチャン。
ラオスでは文字の文献が多くは残ってはいないことや、考古学上も研究段階であることから、まだまだ謎が多い。ラオスの発展がわかってくるのは14世紀から。元々タイ系の民族であったラーオ族が「ムアン」という政治的な集まりを作ったことから始まった。1353年にファーグム王によりムアンをまとめた"ラーンサーン王国"ができた。中でも僕が訪れたルアンパバーンという街を都に定め、王国の基礎ができ始めた。その後、王国は(現在の首都)"ビエンチャン王国"や"チャンバーサック王国"などに分裂していくが、隣国ベトナムやタイの力に負け、勢力を弱めていった。
19世紀半ば以降、カンボジア・ベトナムを植民地としたフランスによって、ラオスもフランスの植民地となる。しかし、ラオスは経済的な発展がないと見限ったフランスは、植民地としては所有しつつ経費をかけずにした。その為、ラオスは鉄道などのインフラや、教育や医療の導入が遅れている現状がある。第二次世界大戦の影響で、日本軍がインドシナ半島でクーデターを起こした影響もあり、フランスは統治を中断した。と同時に、ラオス国内でも独立を求める運動が起き始める。その後、フランスの再植民地化やアメリカによる自国での内戦もあったが、1975年12月、ようやく王政が廃止され、現在のラオス人民民主共和国ができた。
このような歴史がある影響で、現在でもラオス国内では家計や教育、医療の格差などが続いている。例えば、教育では、基本は小学校の入学年齢は6歳だが、家計の手伝いや近くに学校がない影響などで学校にいけない子もいる。また、一旦入学しても、教師がしっかりとカリキュラムを教えられるレベルではないなどの原因で、留年率も非常に高いという。僕が訪れた時も、学校には行かず、畑仕事や店番などをしている少年少女によく出会った。しかし、ラオスはまだ発展途上国。今後、教育体制が整っていけば、ラオスは益々発展が期待できる国だと思う。
心の優しさ溢れるラオス人
無事ラオスに到着したのは夜。少しの不安を抱えていた僕だったが、入国審査の時にラオス人の心に触れる。
海外旅行に行ったことがある方ならわかると思うが、入国審査は大抵流れ作業で審査員は基本無表情であることが多い。まぁ何百何千という人を対応していれば、感情を込める余裕も理由もなくなってしまうこともよくわかる。けれど、ラオスの入国審査のお兄さんは「日本から来たんだね。ア・リ・ガ。。。?Thank youは日本語でなんて言うだっけ?」「"ありがとう"だよ。」「ア・リ・ガ・ト・ウ」と気さくな笑顔で接してくれたのだ。あんなに気持ちのいい入国審査は初めてだった。
ホテルへ向かおうと到着ゲートを抜けた時、また一つのほっこりする場面に立ち会った。空港のスタッフのお兄さん2人が荷物を運ぶカートに乗りながら遊んでいたのだ(写真右)。まるで子供みたいに無邪気で悪気のない、すがすがしく遊ぶ姿。「なんなんだ、ラオス人!みんないい人なのか?」と、僕は思わず口に出していた。
乗り合いバンの担当のおじさんもすごく笑顔で接してくれ、荷物も進んで持ってくれた。すでに空港でラオス人の温和な感覚を感じつつ、僕はホテルのあるルアンパバーンの街へと向かった。
無事ホテルに着き、チェックインと明日のバスの予約をした僕は、晩御飯を求め、街の散策に繰り出すことにした。道路からしてすごく綺麗な印象。
ルアンパバーンに訪れた際はぜひナイトマーケットへ。行き交う街も人もなんだかとても楽しそうに見える。
ヨーロッパのカフェのような、何ともオシャレな焼き菓子が売られていたり、
絵画もあれば、
蛇や蠍の瓶詰めがあったり、
和を感じるランタンがあったり、
美しい切り絵が売られていたりと、見ているだけで気持ちが楽しくなってくる。
せっかくだから何かを買おうと、色々な紅茶を売るお店の少年に話かけた。僕は幾つかをピックアップして、お金を払った。「写真を撮ってもいいかな?」とたずねると快く「どうぞ」と返してくれた。この顔を見ていただければ、きっとラオス人の温和な空気感がわかってもらえると信じている。
こちらも紅茶の出店。入れ物がデザインされていてとてもかわいかった。店番の少女も粋な目をしていた。
そろそろお腹が空いたので、ヨーロッパの街角のような路地のお店に入ることにした。
お店の中もアジアとは思えない雰囲気。昔、ラオスはフランス領だった影響もあり、フランスの文化が自然と取り入れられているのだろう。観光客もアメリカやヨーロッパの顔の人が多かった。
もちろん注文したのは、ラオス産ビール"Beer Lao ビール・ラオ"を頂こう。640mlを頼んだのだが、これで200円もしない。幸せな国だ。いつまでも飲んでいたい。
料理は、ラオスの定番料理"ラープ"を頼むことにした。肉や魚にレモンなどの柑橘系の汁や香草を混ぜて炒めた料理。とうがらしが辛すぎて、舌が痙攣した。その分、ラオビールの進みも早かった。食事で触れる文化もあるなと感じていた。
お腹も満たされたので今日は寝床に戻ることにしよう。ナイトマーケットも終わってゆく。
帰りに立ち寄ったコンビニには、キャップを被ったもじゃもじゃのエビスさんが立っていた。何者だったのだろう。
ラオスのコンビニも大抵の必要な物は売っているので、もしラオスに行かれる方はそんなに心配することもない。
ベッドの真上にある扇風機を見ながら、今日という日を振り返った。
わからないこと、知らないことはまだまだたくさんある。
僕がこれだけはやってはいけないと思っているのは、「Googleマップを見て、そこに行った気になり、満足してしまうこと」だ。目的地はあくまで指標でしかない。大切なのは、そこに行くまでにどんな人に出会い、どんな出来事があり、何を考え思うかということだと思っている。目的地に着いた瞬間もサイコーなのだけれど、後で思い返すと、すごく楽しかったと思うのは行くまでの道中だったりする。きっとそれは、道中が一番心が動いているからだと思う。
わからないこと、知らないことはまだまだたくさんある。初めの一歩は、立ち止まっていては辿り着けない方角へと繋がる唯一の一歩だということを、いつだって忘れないでいたい。
※カンボジア・ラオスの旅 no.8に続く →→→ 執筆中
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*引用/参考資料
・D22 地球の歩き方 アンコール・ワットとカンボジア 2017~2018(ダイヤモンドビック社/2016年12月)
・Tyrants and Dictators - Pol Pot (MILITARY HISTORY DOCUMENTARY) - YouTube
・D23 地球の歩き方 ラオス 2016~2017(ダイヤモンドビック社/2015年11月)
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